いまも有楽町駅前で使われている 南町奉行所の遺構の数々


奉行所の石組み

江戸幕府には、江戸町奉行、寺社奉行、勘定奉行の三奉行があった。江戸町奉行所は、南北に分かれ、江戸の町における行政、司法、警察機能などを管轄し、南と北に分かれ月ごとに交代で執務していました。
1707年に、それまで常葉橋門内に置かれていた南町奉行所が数寄屋橋門内に移され、それ以降、幕末までここ有楽町に置かれていたわけです。

現在、有楽町の駅前広場となっているエリアの再開発が着工する前に、埋蔵文化財の発掘調査が行われ、その際に南町奉行所の遺構が数多く発見された。

駅前広場には、発掘によって出土した南町奉行所の石組みが再現されているのをご存知だろうか。
駅前広場の丸い大屋根を、地下へ下り反対側までぐるりと回っていくと重厚な二段の石組みがある。これこそ、南町奉行所で使われていた石組みである。

遺構はこれだけではなく、まだまだある。今度は丸屋根をくぐって地下広場へ降りて行くと、正面左手に何やら天井までの高さの大きな木枠が壁にはめ込まれている。これは、南町奉行所の地下にあった穴蔵なんだそうな。

なんでも、江戸の町ではたびたび火事が起こっていたが、木造住宅で軒を連ねていた江戸の町では、ひとたび火が出ると延焼範囲が広がることがあった。そのため、貴重品などを収納するために地下に穴蔵を作っていたということで、地下広場でそれを見る事ができる。

また、地下広場にある木製の横長いベンチは、江戸時代の水道管だというから驚く。また、同じく地下広場の木の柱の周りをぐるりと囲むように並べられた石のベンチも南町奉行所跡からの遺構。

それぞれ、江戸時代のものを現代人の日常のなかにうまく取り入れているということ。

もし、ベンチに座ることがあったら、江戸時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

奉行所跡

有楽町駅