現在ではオシャレな街並みが広がる有楽町。ところが、かつての江戸の面影をいくつも残す歴史的なスポットとしても知られています。江戸といえば、徳川家の居城として知られる「江戸城」が存在した時代。では、有楽町には「江戸城」に関連する場所があるのでしょうか?そこで有楽町.TODAYでは、有楽町エリアの歴史をピックアップ!今回は「江戸城の名残」を辿ります。
数寄屋橋には江戸城の城門「数寄屋橋御門」が存在していた!
「有楽町マリオン」「西銀座」からすぐの位置にある「数寄屋橋」。現在は橋は存在せず、首都高速と地下鉄に上下を挟まれた数寄屋橋交差点にわずかな面影を残すのみですが、江戸城の城門「数寄屋橋御門」が存在していた由緒正しき土地としても知られています。
今では「数寄屋橋」の名前だけが城門の名残を伝える数寄屋橋交差点。「数寄屋橋」があったことは知っていても、江戸城の城門「数寄屋橋御門」が存在していたことまで知っている人は意外と少ないのでは。ちょっとしたトリビアとして覚えておくといいかもしれません。
堀と城門を擁した江戸城の守りの要所「日比谷公園」
東京都内において、江戸城が存在していたことに触れられる場所といえば「皇居外苑」。その東南側に位置するかつての江戸城の端に、「日比谷公園」が立地しています。今では都心のオアシスとして、仕事途中やショッピング帰りにくつろぐ人でにぎわう公園ですが、江戸城が現存していた当時、堀と城門を擁した江戸城の守りの要所として知られていました。
まず、有楽町に近い入口「有楽門」から園内を進むと、すぐ左手にみえる石垣が「江戸城日比谷御門」の名残。江戸城の他城門と同じ枡形で、警備にあたっていた武士が詰めた「見附」を表す番所もあります。
さらに園内を進むと視界に広がる「心地池」と、囲むように位置する石垣は、それぞれ、日比谷公園造成時に「江戸城日比谷御門」の横を流れていた堀を造りかえた池、御門横に築かれた石垣の名残です。
現在の日比谷公園一帯は、江戸時代に佐賀藩鍋島家の上屋敷として名を馳せた土地。長州藩毛利家の上屋敷「桜田上屋敷」も隣接しており、雅やかな時代を過ごしました。こうして紐解いていくと、想像していた以上に重厚な歴史と密接なことがうかがえる有楽町エリア。散歩がてら歩ける位置にそれぞれ立地しているので、ぜひ歴史スポットを巡って楽しんでみて。
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