歴史的なあの舞台は有楽町!「江戸城」「君の名は」「朝日新聞」をキーワードに歴史を辿る


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大人の街として人気が高い有楽町。隣接する銀座に比べて、カジュアルで居心地がよいと評判の有楽町は、現在のスタイリッシュな街並みからは想像できないほどさまざまな歴史の舞台としても有名です。では、どんなヒストリーかご存知ですか?有楽町.TODAYでは、有楽町エリアの歴史をピックアップ!今回は「江戸城」「君の名は」「朝日新聞」をキーワードにお届けします。

徳川家の居城として有名な「江戸城」の端に位置する有楽町~日比谷エリア

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武蔵国豊嶋郡江戸(現在の千代田区千代田)にあった「江戸城」。徳川家康が入城後、徳川家の居城となり、江戸幕府開幕後に幕府の政庁、明治維新後には東京奠都で宮城(きゅうじょう)の時代を経て、現在では吹上庭園を御所、旧江戸城西ノ丸を宮殿の敷地として使用されています。

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有楽町から日比谷エリアは、在りし日の江戸城の端に位置。皇居外苑は、江戸城の名残に触れることができます。有楽町駅から日比谷公園方面に向かって5分ほど歩くとみえてくるのが、皇居外苑東南側の石垣と日比谷濠。

そこから、日比谷公園を左手にみながら日比谷濠に沿って歩いていくと、「桜田門外の変」で有名な「旧江戸城外桜田門」が右手に現れます。都心にいることを忘れてしまいそうな散策コースとしてオススメです。

大人気ラジオドラマ「君の名は」の舞台は、なんと有楽町だった!

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「番組がはじまる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」とまでいわれた大人気ラジオドラマ「君の名は」。1952年に放送が開始された同ドラマの舞台となったのが、数寄屋橋交差点にわずかに名残をとどめる「数寄屋橋」です。

現在では、首都高速と地下鉄に上下を挟まれ、橋の姿はありませんが、同ドラマを手がけた脚本家・菊田一夫氏が「数寄屋橋此処にありき」と刻んだ「数寄屋橋跡」碑が、数寄屋橋交差点からすぐの数寄屋橋公園に建っています。ぜひ訪ねてみて!

現在の「有楽町マリオン」の敷地で約50年の歴史を刻んだ「朝日新聞東京本社」

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有楽町のシンボルタワーとしておなじみの「有楽町マリオン」。かつてこの敷地には、1927年(昭和2年)3月20日から、築地の新社屋に移転する1980年(昭和55年)4月23日まで、「朝日新聞東京本社」があったことで知られています。

約50年の歴史を刻んだ中で一番大きく取り上げられているのが、1936年(昭和11年)2月26日に発生した「二・二六事件」で、反乱軍による朝日新聞東京本社社屋の襲撃事件が勃発。今なお、歴史に名を残す大事件として知られる「二・二六事件」の舞台のひとつとして、当時の朝日新聞東京本社は文献にも登場することになりました。

現在の有楽町マリオンでは、本館東側11F~14Fが「朝日新聞記念会館」の名義になっており、「有楽町朝日ギャラリー」「有楽町朝日スクエア」「有楽町朝日ホール」など各施設が入居しています。

教科書に登場する歴史的事件やカルチャーの舞台としても知られる有楽町。今までとはまた違った視点で、街並みに親しめるようになりそうです。ぜひ歴史に登場するそれぞれの現場を辿りながら散策してみて。