有楽町の町名は、 戦国武将の茶人、 織田信長の弟・有楽斎に由来する


有楽町の名の由来

『有楽町』特徴とらえた町名の由来

有楽町。改めてその字面を追ってみると、人であれば「名は体を表す」とでも言いたくなるほど街の特徴をよく表した地名である。

その由来について、千代田区のホームページではこう説明されている。
「『有楽町』の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎(おだうらくさい)に由来します」

織田有楽斎とは、どんな人物なのか?

織田信長の父・信秀の十一男で、信長とは歳が13歳離れていたという。信長勢の旗下として、甲州征伐でも活躍している。

本能寺の変により、一時、岐阜へ逃れるが小牧・長久手の戦いでは徳川勢に加勢している。秀吉が天下を統一してからは、摂津国嶋下群味舌の2000石を拝領している。また、このとき長益は、剃髪し、名を有楽斎と名乗るようになる。

その後、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、奮迅の活躍を見せるなど、武功を上げている。

そうした武将としての一面を持ちながら、有楽斎として茶道を学び、利休十哲にも数えられる。

そして、関ヶ原の戦い以来、徳川方に属した有楽斎が江戸屋敷を構えたのが、現在の有楽町であり、明治時代に入り町名も有楽町となったのだそう。