【有楽町の歴史をたどる】シリーズ第1回「東京交通会館の歴史とともに歩んだ人生」酒のサンオウ代表取締役 乙黒義明さん


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時とともに姿を変え歴史を積み重ねてきた有楽町の街並み。特に、現在の姿しか知らない世代の人たちにとって、古き時代は知れば知るほどに新たな未知の世界でもあります。そこで有楽町.TODAYでは、有楽町の歴史をご紹介する【有楽町の歴史をたどる】シリーズをスタート。第1回は東京交通会館B1Fで営業する「酒のサンオウ」を取り仕切る乙黒義明さんにご登場いただき、在りし日の想いに浸りながら有楽町と東京交通会館の歴史について語っていただきました。

バブル時期は有楽町界隈も飲食店を中心に大繁盛!多忙で体を壊すほど景気の良かった時代

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「もともとはサラリーマンだったんです」とやさしい笑顔を見せる乙黒さんは、東京交通会館商店会名店会会長も務める有楽町の歴史を紐解く上で重要な人物。

酒屋の息子として育った乙黒さんは、まずは家業を継がず一般企業に入社。転勤での居住地、関西でサラリーマン生活を送っていた際、転機が訪れます。「『東京交通会館に2号店を出すから店をやらないか?』との親父の連絡で酒屋店主へのシフトを決めたんです」。退社し、そのまま関西の酒屋で修行。1年後、東京に戻り店舗を取り仕切ることに。

「東京交通会館は今年で50周年ですが、酒のサンオウは36年。入居する以前から2代酒屋だったため、お客様には『あそこは酒屋』と違和感なく受け入れてもらえたことはラッキーでした」

有楽町界隈の変遷を商売を通して見つめてきた乙黒さん。「景気の流れは商店主とタクシー運転手に聞け」という言葉があるように、昔と今を肌で知る乙黒さんに言葉を向けてみると「やはりバブル時期の前後で街も景気も様変わりしましたね」。

「うちは店舗販売より配達業務がメイン。飲食店などから注文を受け、各店舗にお届けしています。多忙で体を壊し、入院をきっかけに営業を縮小。ちょうどバブル崩壊と時期が一致したので助かりました。営業縮小を視野に入れていたので経営上の打撃も受けなかった」

バブル時期といえば繁華街の飲食店が大繁盛した時代。「『お金を使うことが仕事』のような若い営業マンたちもたくさんいた時代。店舗運営を通してだけでなく、取引関係の営業マンたちに何軒も付き合わされ、身を持ってあの時代の景気を知ることに。それほど酒が呑めるわけじゃないから大変でしたよ」と笑いながら教えてくださいました。

東京交通局から名付けられた「東京交通会館」は今年で開業50周年

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次に東京交通会館の歴史をお伺いしました。パスポート申請を中心に見聞きする同会館ですが、なぜこの名称がつけられたか知らない方も多いはず。

「名前の由来は竣工当時、4Fから上に東京交通局が入っていたから。東京交通会館という名前から『会館ホールや博物館はどこにあるの?』と聞かれることもありますね」

1Fにある三省堂書店には三菱銀行が入居しており、今よりも金融としての顔が強かったそう。

「1986年11月に三億円強奪事件が起きたことを覚えている方には記憶に残っているかもしれません。朝8時過ぎという通勤ラッシュの時間帯をねらった大胆な犯行として大騒ぎになりました。犯人はフランスの強盗団グループで外国人の男。1968年に起きた府中事件のリベンジで警察も気合が入っていたことから、連日、刑事が聞き込みにきてすごかったですよ」

結果的に海外で逮捕となった日本を揺るがす大事件を知る乙黒さん。当時の映像や新聞、文献などでしか知ることができない貴重な生のお話まで聞かせていただきました。

「同銀行がメガバンク統合で移転したことをはじめ、同会館に入居する店舗も顔ぶれが変わりました。駅前にあった都庁が新宿に移転し、新たな顧客層に足を運んでもらうために物販店などサービス提供店舗が増えたことが大きな違い」

都庁跡地には有楽町マルイが竣工。無印良品とロフトがある場所も、現在は日比谷にある宝塚劇場だったそう。

「楽屋への差し入れにファンの方がお酒の注文に訪れたり、宝塚の役者さんやファンでも賑わっていました。舞台専用メイクなどを取り扱う店舗があるので、今でも役者さんがよく足を運んでくださっています」

なつかしさがむしろ斬新な東京交通会館。「『ここに足を運ぶと安心感がある』というお声をよくいただくのがうれしい」と語る乙黒さんへのインタビュー中にも、年齢を問わず引切りなしにお客様が訪れます。「最近ではアンテナショップの影響もありお若い方が増えました。各店舗の温かなおもてなしや良さを知ってほしいですね」との言葉通り、有楽町駅前で50周年を迎えるゆったりとした空気感がうれしい同会館と街の歴史を語ってくださいました。

有楽町トゥデイ編集部
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