【有楽町の歴史をたどる】シリーズ第4回「日本初の香水専門店を誕生させた戦中戦後の貴重な生き証人」アミドパリ香水店 桐生玉枝さん


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有楽町・銀座エリアがセンスあふれる街に変貌を遂げた裏に、戦中時代から街とともに生きた人たちの尽力があります。有楽町.TODAYが贈る、有楽町の歴史をご紹介する【有楽町の歴史をたどる】シリーズ。第4回は、現在は東京交通会館B1Fで営業する日本初の香水専門店を誕生させた「アミドパリ香水店」の桐生玉枝さんが登場。川が流れ、数寄屋橋が現存した時代を知る貴重な生き証人に、有楽町・銀座エリアを語っていただきました。

戦中時代を知る大正生まれの貴重な生き証人が語る数寄屋橋と川の流れ

「大正生まれです」と朗らかな笑顔を見せる「アミドパリ香水店」の桐生さんを目の前にして、その言葉を素直に信じられる人はなかなかいないはず。ピンと伸びた背筋、美しい声、ハリのある肌に生き様そのものが表れている桐生さんは、正真正銘大正生まれで戦中時代を知る女性。

「数寄屋橋から見る川の流れが大好きでね。おたまじゃくしや魚が泳いでいるのを眺めては、今日も綺麗だなって帰宅したことを今でもよく覚えているんですよ」

現代人にとって、数寄屋橋交差点周辺に橋があり川が流れていたことなど、教科書や歴史書物を紐解かないと知る由もないこと。生活の中に存在していた風景を耳触りの良い声で語ってくださる桐生さん。貴重な時間になりました。

生まれも育ちも銀座。有楽町・銀座エリアは幼い頃から慣れ親しんだ街。

「今の人は『高級街』なんて言うけれど、銀座は長屋が並ぶ商人の街だったのよ」

「敷居が高い街」という印象を話すと、楽しそうに教えてくださる桐生さんは、商家で育ったお嬢様。商売人のDNAはお父様から受け継いだことがうかがえます。

本場フランスで買い付けをし、資格を取ってはじめた「アミドパリ香水店」は大人気店に

「ひょんなことから香水店を営むことになったんです。本場のフランスなどに足を運んで勉強し、買い付けをし、資格を取って自分の店を出すことに。当時は女性が働くには自分で商売する以外はむずかしい時代。でも、私の性分に合ったんでしょうね」

銀座ではじめた「アミドパリ香水店」は、輸入香水だけでなく自身作の香水を販売する噂を聞きつけ、当時近隣にあった各新聞社などメディアで取り上げられ、たちまちの内に大人気店に。

まさにキャリアウーマンの先駆け。決して声高に語りませんが、昭和初期に「女性が店を持つこと」がどれほどのご苦労だったか想像に難くありません。

禁止用語の代わりに飛び交う暗号とともに貴重な食材が提供されたすし屋横丁

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桐生さんのお店は順調に売上を伸ばし、東京交通会館竣工から数年後、入居することに。

「駅前で商売がしやすいことと、当時の交通会館は最先端ビルだったので香水店はピッタリだろう、と。おかげさまでやってこれました」

有楽町の街並みはどんな感じだったのでしょうか?

「今も駅前にある果物屋『百果園』は昭和26年創業なんで私もよく買い求めていました。戦後の混乱期は禁止用語があったので、代わりの暗号が飛び交っていた時代。夜のすし屋横丁での飲食では、お店の人と仲良くなると暗号とともにコッソリ貴重な食材を出してくれたり。政府や軍部が強かった当時、信頼関係ができるともてなし方が変わったんです」

話を伺いながらさらに前のめりに。映画そのものの世界です。

和光を拠点としていた進駐軍から手に入れた舶来品が「コッソリ」並んだ時代

「『戦後は大変』というイメージが強いでしょうけれど、悲惨でもなかった。なにより人間ってどんな環境でも生きる工夫をする生き物。夜になると銀座は露店の長い列ができて、販売されない商品もコッソリ。もちろんお店の人と仲良くなるとね」

和光を拠点としていた進駐軍から手に入れた舶来品が「コッソリ」提供されたそう。

「今年8月でこのお店も閉めることになったけれど、充実した良い人生だったと胸を張れるかな、と感じるようになって」

桐生さんの人生は、間違いなく「良い」どころか「最良」の今でいう「カッコイイ女性」としての生き方。「お店を閉めたらもっと遊ばなくちゃね」と可愛らしく微笑まれたチャーミングな人生の大先輩でした。

(※アミドパリ香水店は2015年8月に閉店しました。)

有楽町トゥデイ編集部
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