【地理女】江戸から明治を感じる有楽町〜大手町のお散歩コース


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歴史や文化を探訪しながら街歩きを楽しむ女性が増え、ブラタモリの「地理女」特集からブームになりつつある昨今、有楽町〜大手町の江戸・明治の名残に触れるコースが注目を集めています。今回の有楽町.TODAYオススメの有楽町お散歩コースは「有楽町〜大手町江戸・明治めぐり」編!地理女気分で歩いてみて。

かつての東京行政の中心地!東京国際フォーラム「東京府庁舎跡」石碑は東京府庁・都庁の名残

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スタートは東京国際フォーラム地上広場の東京駅寄りにある「東京府庁舎跡」石碑から。現在、東京国際フォーラムが建つ場所は、1894年(明治27年)東京府庁が移転して以来、1991年(平成3年)東京都庁が新宿に移転するまで、約1世紀もの長きにわたり近・現代東京行政の中心地でした。石碑と案内板が在りし日をうかがわせるよう設置されています。

日本初のオフィスビル!「三菱一号館」竣工は、丸の内オフィス街の歴史のはじまり

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1890年(明治23年)、日本政府から丸の内一帯の土地を買い上げた三菱グループ創業者、岩崎弥太郎により、1894年(明治27年)に三菱グループ最初のビルとして建設された、日本初のオフィスビル「三菱一号館」。丸の内がオフィス街としての歴史を歩みだした記念すべき建物で、その後、次々とオフィスビルが竣工し、明治後半に入るとイギリスの首都ロンドンのようにレンガ造りが立ち並び、「一丁倫敦」と名づけられるほど急成長をとげました。

1968年(昭和43年)に取り壊されたものの、2010年(平成22年)、建設当時の姿を忠実に再現し、美術館、カフェとしてリスタート。江戸時代は大名屋敷、明治以降は本社を構えることがステータスとされる丸の内がもつ由緒正しさは、江戸期から変わらず生きつづけています。

江戸時代の大名屋敷跡地には今、何が建っている?日比谷から丸の内を歩く、大名小路めぐり

江戸時代、江戸城内だった現在の丸の内界隈。とりわけビックカメラ前から東京国際フォーラム、東京駅前を抜け大手町に走る道は「大名小路」と呼ばれ、徳川家に近い親藩や譜代大名などの瀟洒な大名屋敷が立ち並び、そうそうたる風景だったと伝えられています。

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その江戸当時の大名屋敷跡地には今、何が建っているのか?代表的なお屋敷を順にめぐってみましょう!まずは日比谷通り沿い、皇居外苑の通り向かいに立ち並ぶエリアから。

丸の内警察署:本多中務(岡崎藩/本多家)
DNタワー21:青山下野(篠山藩/青山家)
帝国劇場:松平因幡(鳥取藩/池田家)

つづいて東京駅前エリアへすすみましょう。高層ビル群がすべて大名屋敷だったことをイメージしながら歩くと、街の変貌に驚かされるはず。普段とは違った視点で眺める魅力に触れてみて。

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東京中央郵便局・KITTE:真田信濃(信州松代藩/真田家)ほか

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東京駅:松平丹波(信州松本藩/戸田家)・水野壱岐(北条藩/水野家)・松平三河(津山藩/松平家)ほか

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丸ビル:松平内蔵(備前岡山藩/池田家)

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新丸ビル:阿部伊勢(備後福山藩/阿部家)

江戸城の重要スポット!江戸時代に将軍が出入りした、江戸城と城下町をつないだ「大手門」

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かつて江戸城と城下町をつないだ「大手門」。同門から将軍が出入りしたことから表門、追手門と呼ばれ、対する「半蔵門」が城郭に備える搦手門に位置しました。

建立は1607年(慶長12年)。近世城郭の名築城家、藤堂高虎によるもので、氏の築城の大きな特徴である、高く積み上げた石垣や濠の設計(縄張)が活かされ、美景として広まりました。先の将軍徳川家康が城郭建築の才を高く評価したことから、外様大名ながらも譜代大名格として重用され、歴史に名を刻みます。

1620年(元和6年)の江戸城修復工事で左右約1400mの石垣と枡形城門が完成し、特に厳重な警備体制が敷かれ、1657年(明暦3年)の焼失、1659年(万次2年)の再建の後、1945年(昭和20年)3月に起こった東京大空襲で大手門の渡櫓門が焼失したものの、1968年(昭和42年)に復元され今日に至ります。

現在も在りし日の姿がうかがえる「三菱一号館」(現:三菱一号館美術館)「大手門」から、様変わりした大名屋敷跡地まで、知れば知るほど新たな発見ばかり。1時間ほどでまわれるので、休みの日にゆっくり歩いてみて。