おしるこに隠されていた驚愕な真実とは?


 

甘党の人が食べたくなる甘味の1つに、おしるこが挙げられます。
小豆を柔らかく煮て砂糖で甘味を付け、お餅や団子などを入れて食べる汁物ですが、甘党の人の欲求を満たす、どっしりとした甘味であることが特徴であります。
老若男女が食べている、一般的なおしるこについて色々調べていったところ、驚くべき事実や歴史を知ることになりました。

続きはご覧いただくとしまして、起源のおしるこは現在のものとは全く異なるものとなっており、あまりの違いに驚かれること間違いないと確信します。
おしるこに隠された真実を皆様と共有したいと思います。

 

 

おしるこの起源は「すすり団子」という料理で塩味だった

 

 

いきなり答えを語ってしまいますが、おしるこの起源は江戸時代に誕生した「すすり団子」という料理であることが文献に残されております。

すすり団子は、もち米とうるち米を混ぜ合わせて作った餅で、小豆を粉にした汁で煮て塩味をつけたものに、当時は貴重で高級品であった「白砂糖」をふりかけた団子汁だったそうです。
当時、すすり団子は甘味として食べたのではなく、お酒を楽しむ際の肴(さかな)だったようです。
塩味でしょっぱかったのがおしるこの起源なのです。
(出典:「古典料理の研究(八):寛永十三年「料理物語」について」著: 松下幸子 他多数 )

 

現在のおしること比べると、全く正反対な性質であった事実に驚きます。砂糖をふりかけた団子汁がおしるこの起源であることは、普通は想像できないですし、小豆がしょっぱいというのもイメージがつきにくい。想定を大きく超えた真実にびっくりするしかありません。

当時のすすり団子から、現在の甘いおしるこに変遷していくわけですが、変わっていく歴史は文献には残っていないようで、過程や理由は不明のままです。
おしるこに塩を入れて甘みを引き出す手法が現在にありますが、すすり団子の塩味からヒントを得たのかもしれないと思うと、伝統が受け継がれているようにも見えて面白いと感じました。

 

芥川龍之介などの文豪もおしるこが大好きだった

 

「羅生門」などで有名な、文豪である芥川龍之介(1892年〜1927年)もおしるこが大好きだったようです。芥川龍之介全集の中の「しるこ」という文で思いを語っています。
本当におしるこ好きだったと分かる部分を抜粋してご紹介致します。
久保田万太郎君の「しるこ」のことを書いてゐるのを見、僕もまた「しるこ」のことを書いて見たい欲望を感じた。

「しるこ」は西洋料理や支那料理と一緒に、東京の「しるこ」を第一としてゐる。(或いは「してゐた」と言いはなければならぬ。)しかもまだ紅毛人たちは「しるこ」の味を知ってゐない。もし一度知ったとすれば、「しるこ」もまた或いは麻雀戲のやうに世界を風靡しないとも限らないのである。

あの逞しいムツソリニも一椀の「しるこ」を啜すゝりながら、天下の大勢を考へてゐるのは兎に角想像するだけでも愉快であらう。
(出典:芥川龍之介全集 第9巻 岩波文庫)

 

西洋料理や支那料理(中国・中華料理)と同等の価値がおしるこにあると言ったり、世界を風靡するかもと、おしるこについて熱く語っているのが印象的ですね。

文中に出てくる久保田万太郎(1889年〜1963年)も文豪で、芥川龍之介と同様におしるこのことを別の視点から熱く語っていました。長くなるので掲載はしませんが、おしるこが本当に好きで好きでたまらないと、強いメッセージで伝わってきました。
興味があれば是非調べてみて下さい。

明治時代〜大正時代は甘いものが少ない時代だったようなので、おしるこのような強烈な甘味は、色んな人を虜にさせてきたと容易に想像できます。当時のおしるこはどんなものだったのか、気になります・・・

現在のおしるこは、地方によって具材を変えたり、バリエーションも増えてさらに進化し続けております。おしるこの根幹である小豆も、品種改良を続けてどんどんバージョンアップしているので、現在のものが一番美味しいことは想像に難くありません。

都内にもおしるこを出す老舗がたくさんあります。もちろん、有楽町や銀座にも。今後、個性的で美味しいおしるこが見つかったら、皆様にご紹介いたしますのでお楽しみに。