再開発事業により商業ビルが立ち並び様変わりした有楽町。では、今の姿に至るまで、どんな道のりを歩んできたのでしょうか?有楽町.TODAYが贈る、有楽町の歴史をご紹介する【有楽町の歴史をたどる】シリーズ。第2回は、東京交通会館B1Fで営業する「照鮨」の女将として人気の加賀真由美さんが登場。有楽町の街と歩みを共にした照鮨と有楽町を語っていただきました。
昭和21年創業「照鮨」は、二・二六事件にも遭遇した激動の人生を送った先代がはじめた老舗店
昭和21年創業の歴史ある老舗寿司店を切り盛りする加賀さん。「主人の母が銀座ではじめた小料理屋が照鮨の元祖なんです」。そう語る加賀さんは、生き生きとした笑顔と心やさしさが自然と伝わる気配りがとても印象的な若女将。
「義理母は銀行員として勤務していたときからお茶やお花が達者。当時の女性としてはめずらしい『女性も手に職を』という感覚が優れており、一念発起して小料理屋を開店させた、今で言うキャリアウーマンです」
行員時代、歴史上に残る二・二六事件にも遭遇する激動の人生を送った先代の息子である加賀さんのご主人が寿司職人として腕を振るう同店は、常連さん中心とはいえ一見さんにも温かい誰もがくつろげる老舗店。ともすれば「お品書き掲示がない寿司店」は敷居が高く感じられてしまいますが、ご夫婦のお人柄を表すように居心地の良い空間です。「おかげさまで有楽町の変動の中で続いてこれました」と、在りし日の有楽町へと話は移ります。
著名文化人たちが愛する有楽町。照鮨の歴史からもその事実が浮かび上がる。
「有楽町駅前に移転し、しばらく続いていたのですが、東京交通会館ができるということで一帯に立退き依頼が出たんです。現在のマルイの位置に『商業施設が建つからそちらに入居を』とのことでしたが、先代の時流を読む勘が働き『すぐに建つとは思えない。ご愛顧いただいているご贔屓筋を守るためにも、交通会館に入居できるように』と。
早くからお願いしていた甲斐あって無事に入居。先代の一声がなければ照鮨は存続できませんでした」
東京交通会館に移転する前のお写真を見せていただくと、映画の世界に登場するかの有楽町の風景がそこに。新鮮な驚きを感じていると「実は、映画『東京物語』のパンフレットに使用された写真。常連さんが気づいて持ってきてくださいました」。
文化人たちが愛した街としてもたびたび名があがる有楽町。照鮨の歴史からもうかがえます。「『月光仮面』の歌、ご存知ですか?あの歌はうちの店で生まれたんです」と、これまたサラリと披露。
著名作詞家・川内康範さん(享年88)も贔屓にしていた同店。ある日、関係者と酒を酌み交わしながら自身作の月光仮面の主題歌について案を練っていたそう。なかなか浮かばず悩んでいたところ、「月光仮面って、疾風のように表れて、疾風のように去っていく……そんなイメージですよね」とポツリとつぶやいた一言に「それいいな!それでいこう!」。
誕生の瞬間を目撃し、誕生の場となった照鮨。「そのとき、川内先生と関係者の方のアイデアを懸命に書き留めていたお弟子さんが阿久悠さん。よく連れ立ち訪れてくださったそうです」。
続けて、「当店の暖簾は、先代の行員時代の同僚・松井如流さんによるもの。駆け出し書道家時代、仲良しの縁でお願いしたところ快諾。お弟子さんに、ウイスキー「山崎」などの題字を担当した佐治敬三さんらがいらっしゃる方ですよ」と楽しそうに教えてくださる加賀さん。
いまだ記憶に鮮明な超有名曲の舞台となっただけでなく、多くの著名人たちが愛する老舗店を切り盛りする加賀さんご夫婦は、肩肘張らないナチュラルさが本当に魅力的。
有楽町は古きと新しきを融合させる柔軟な感性の持ち主たちにより時代と共に変化する
「有楽町は再開発を経て女性が増え、お店にも女性同士のお客様が足を運んでくださるようになりました。女性がカウンターでお寿司をつまみながら一杯傾ける。とてもいい時代だと思います」。ご主人がにぎる美味しい寿司だけでなく、朗らかな若女将のお人柄に触れたくて立ち寄る人も少なくなさそうです。
「寿司店の趣きが少なくなりました。うちは『日本ならではの伝統と気配りを守り続ける役目がある』と、やらせていただいています。やっぱり誰かが守っていかなくてはたいせつなものがなくなってしまいますものね」
有楽町を支える人たちは、この街に誇りを持ちながら、古きと新しきを融合させる柔軟な感性の持ち主たち。時代と共に変化する有楽町に触れるお話の数々でした。
有楽町today編集部が有楽町についての情報を発信します。