ここ数年、『歴女』という言葉が流行になったくらい歴史ファンの女性が増えていて、特に幕末から江戸時代は大河ドラマなどの題材で取り上げられることが増え、注目されています。ただ、首都圏から離れた土地の物語が多く、「馴染みがないから興味が沸かない」なんて声も。そこで有楽町.TODAYでは、有楽町エリアの歴史をピックアップ!今回は「大岡越前」でおなじみの「南町奉行所」。実は、現在の有楽町にかつて存在していたことをご存知でしたか?
南町奉行所の遺跡が発掘されたことが歴史の証明に!有楽町駅前再開発により発見された貴重な数々
「大岡裁き」で知られている「南町奉行所」。徳川幕府の三奉行のひとつ、江戸町奉行は南北両奉行に分かれており、今から300年近くさかのぼった時代、名奉行・大岡越前守忠相が現在の有楽町の地で南町奉行所町奉行として職務を執っていたとされています。
この歴史を証明する遺跡が確認されたのが2004年。現在、「有楽町マルイ」「有楽町イトシア」などが立ち並ぶ駅前エリアの再開発事業計画のため、千代田区教育委員会が執り行った遺跡確認の試掘調査で、南町奉行所などの遺跡を確認。翌年から本格発掘調査へと移行した結果、1707年から同地にあった南町奉行所跡のみならず、江戸時代初期の大名屋敷跡といった貴重な数々が発見されることに。
南町奉行所の遺跡として発見されたのは、屋敷の表門から裁判執行のための役所部分。井戸、土蔵の跡や石組の溝などだけでなく、「大岡越前守様御屋敷」と記された札など、歴史を紐解く資料が多数発掘されました。
知らない内に遺跡に触れている?!有楽町駅前広場と地下広場に展示された南町奉行所の遺跡
こうした話を知っても、実物がわからないし、あまりピンとこないのが正直なところですよね。ところが、南町奉行所に関する発掘成果は、誰もが気軽に触れられるめずらしい展示方法を取っています。
まず、有楽町駅前広場の一角にあるのが、発掘により出土した石組。オブジェのような重厚感ある石組ですが、実はそれこそ南町奉行所で使用されていた本物。
地下広場へと降りると、「有楽町イトシア」B1Fエントランスの左手、壁に埋め込まれるような形で置かれている大きな木枠は、南町奉行所の地下にあった穴蔵。大火災に見舞われることが多かった江戸時代の人々の知恵で、焼失を避けたい貴重品などの収納場所として地下に穴蔵を造る文化があり、南町奉行所に当時存在していた貴重な穴蔵が設置されています。
また、地上からエスカレーターを降りて、すぐ左手にある柱をぐるりと取り囲むように置かれた石造りのベンチも、南町奉行所跡地から発掘された石組です。
きっと「知らずに休憩などで使用していた!」という人が多いはず。在りし日の南町奉行所を偲びながら、有楽町の貴重な歴史に触れてみては。
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